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病から学んだこと

2024年07月20日 02:06


23歳の夏、高校2年生の頃からずっと経過観察してきた脳腫瘍が大事な神経に害を及ぼす可能性があった為、手術をすることになりました。コロナ禍の入院生活を目前に、手術日までは生きた心地がしなかったのを今でも覚えています。不安と緊張と恐怖で押しつぶされ、自分の気持ちを溜め込み、身体中の悲鳴が "顔面麻痺" という形で術後残ってしまった。また、後遺症でもともと聞こえが悪かった耳がもっと聞こえなくなってしまった…。そして待ちに待った退院の日。家族との再開を心から喜べず、自分の顔が歪んでいることの恐怖、片耳がほぼ聞こえていない絶望感…。誰かと顔を合わせるのも、外に出るのも怖かった。顔面麻痺を治すための針治療や頭蓋骨セラピーに通い、仕事復帰は遠い未来の話、子育てという子育てもできずにただ自分を見つめ直す月日が過ぎていきました。

手術から半年、ようやく自分の心の声を受け止めることの大切さ、そしてそれを誰かに発信することの意味を理解できるようになったのは、マリンバを弾きはじめた頃でした。人と顔を合わせるなんてとてもじゃないけどできないと思っていた私に、「マリンバの音を誰かに届けたい」「誰かの身近な人になりたい」と思わせてくれたのは紛れもなく音楽の力です。弾いていると不思議と希望になるような明るい兆しが見えてくるようでした。心だけでなく、次第に身体の症状も和らいできていることを実感するようになりました。

手術を経験しなければ見えなかった世界が、私にはたくさんありました。相手を大切にする前に自分を大切にすること。好きなことを心から楽しむことが、自分の生きていく力になること。そして、たくさんの周りの人々に支えられて生きていること。

人は病気や挫折を経験した時、必ず誰かが手を差し伸べてくれています。(思っているよりも遥かに優しくて温かい世界に私たちは存在しているのかも知れません。)あの時のどん底の気持ちを誰かに伝えることができていたら、少しでも誰かに頼ることができていたら、どれだけ気持ちが楽だっただろうと思います。人の温かさや気持ちのお陰で、私は安心して退院の日までの時間を過ごすことができていたのだと思います。

もし、同じような状況の方がいるなら、自己解決しようとせず、身近な人に思う存分甘えて欲しいと思います。自己解決すれば周りに迷惑がかからないと思うかも知れませんが、必ずしもそうとは限りません。時には安心できる場所に逃げることも必要だと思います。そして、少し心に余裕ができた頃に「頑張ったね」「ありがとう」と自分自身に伝えてあげてください。

2024年7月より社会福祉協議会さんのご協力を得て、演奏活動を再スタートさせることができました。ハンデを持った演奏家としての志を貫き、より多くの方の「身近な存在」となれることを願いつつ、これからも私らしく演奏を届けていきたいと思っております。


       - みなさまに感謝の想いを込めて -

                        川井 優奈

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